2008年7月6日日曜日

混んでるから高いからとそういえば旅行でも避けてた為、実は初体験だった真夏の沖縄の日光は殺人的だ

ちょいと暇な時間ができたので更新でもしようかと開いたら甲子園の話以来なのね。
その間何があったかというといろいろ日記にしてもいい位の事はあるんだけど、それを思い出して今書こうとしても著しくダイナミズムに欠ける訳で、それは本意ではないので、今この暇な時間を久しぶりにブログに当てよう、と意気込んでもあまりいい文章にならない気がするのです。
誰かに伝えたいようないいこと面白いことがあった日というのはそれこそ、パソコン繋いでる場合じゃない日である訳でして、そうこれは更新を怠っていた事と駄文への言い訳なのですが、とどのつまり文章を書くのって結構暇つぶしに良いね。
書く前に文脈を構築するじゃない、頭の中である程度。そういう思考回路を久しぶりに使ってる感覚があるなあ。うまくいかない。シナプスが干からびているよ。でもなかなかに心地は良い。そんな感じで綴ってしまう事にする。
仕事して四ヶ月くらいたった。最近思うのは、何があってもへっちゃらだい!と頭で思っていてもやっぱり、しんどいことはいちいちしんどいと認識してしまうことが煩わしいなあって事ばかりです。

先日、親友の結婚式で久しぶりに里帰りした時の、これはその時の率直な感想というか心境で、最後のホテルでもすでにぼやいていたんだけど、会いたいと思ってた人たちに会えて、「よう、ひさびさ」って顔見た瞬間にすでに安心してしまってせっかく一緒にいられる貴重な短い時間をたいした緊張感もなく過ごしてしまう事とか別れる時のあっけなさとか。いつ会えるかへたしたら一生会えないかもってレベルのバイバイを連続で平気でこなし続ける自分にがっかりした。義理人情とかとても大切に思うのは自身が薄情であることの裏返しですか?宮部みゆきが好きなのは展開の妙以上に根底にそういう気持ちを感じるからで、時代物の短編集なんてこってりしたくさい話が秀逸なわけで、でもそういえばの途中船で読もうと対馬で買ったブレイブストーリーはつまらなくて下巻を買っていない。
と話をとっ散らかしつつ、、地元の越谷でこちらも久々の乾杯をしたわけだがそんな席でコンちゃんったら、あろうことか喧嘩をしている。せっかくなのに。俺の目の前で。全然ガチで。
そんなのを見ると、俺が気にし過ぎなのか?と分からなくなる。逆にちょっと笑えてくるよ。

今日のテーマです。理想の思考と現実の心情に差があるというジレンマ。これって自分だけ?
逆に、理想の心情に現実がついてこないってのは普通というか、当たり前で、それは自分の不甲斐なさを呪えばいいだけで。
僕が怖いと思っていることは、根源的な思想の崩壊、アイデンティティーの喪失とでもいうのでしょうか、抜け道が見つからなくて参ったなあという感覚なのです。自分は何者なのか、結局何がしたいのか、とふつふつと沸き出かけて。なんか鬱っぽくて苛立つわけです、そんな繊細じゃないけどさ。
実は割と前々から思ってはいたことだけどカミングアウトしてみた。もしかしたら情けない恥ずかしいことかもしれないんだけど。あ、別にSOSじゃないからね。みんなどう思ってるのかなと思っただけです。

披露宴の二次会、あまりに熱いキッスにどきどきしつつ、久しぶりに会った先輩と話をしていて「やりたいことがあったとしてそれを既存のビジネスモデルに沿ってどうこうしようと考えることは根本的に既に違ってきてるんじゃねえか」てのはまさに同感で、「未来のとある地点でどんな事になっちゃってるんだろう」って自分の人生を転がすイメージが大切だと思って。その結果に前述の疑問に対する回答が多分に含まれているんだろうと信じたい。


余談、国語教師には怒られそうだが口語とか敬語とかがごっちゃになったまま書いてしまうのが止められない。会話でも結構そうであるし、ニュアンス伝わりやすいと思うんですけど、分かり難かったらごめんあそばせ。

桃太郎は枯れてしまい脇に生えていた二代目(何の芽かは不明)が跡を継いでいる。甘太郎は元気いっぱいだが実を付ける気配は相変わらず全くない。













世界遺産・今帰仁城です。
あまりにコメントしづらい日記なのでフォローのお写真。フィラー映像のようなもの。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

インディペンデンス・デーイ!
巨匠、誕生日おめでと山。

先日、ゴタンダの韓国料理屋でごきげんに打ち上げを済ましたあと、メガネとカツオを証人にそのままホロ酔いで届けを出してきましたよ信也に、もとい深夜に。

あの日、最後のホテルの一室で、三々五々に帰って行く人たちとあっさり挨拶を交わす誰か。
いつでもみんなと会えるポジションにいる僕やなんかがそこで
「こいつ久々なんだからもうちと話して行けば?」
とかなんとか言えば、少しは彼にとって濃密な再会や別れになるのかもしれない。

んが、そこはあえてあっさりと事を済ませていくのをサッパリ見送る。別れを「済まさせ」ちゃいけない気がして。

逆に「あぁ、この前会ったときはしっかり話せなかったな、沖縄コネェかなあいつ」であったり「やっぱ、ちょくちょく帰らないとロクに話もできねぇな」という感情を残そうと思ったりする。
そんなジレンマが彼に生まれているのなら、それは狙い通り。

頭の中と離反して自分の行動がついていかないところがあるのなら、それは彼の潜在的人間関係の防衛でもあるのでしょう。それはアッサリ先に帰っていった人々も一緒で、心の中では「最後かも」と思っている人がいないとも限らない。

ちなみにグルメで有名なあの方がマッコリを片手に、僕やメガネに迷惑をかけたことも忘れて、沖縄の思い出をとうとうと話し、君に会いにいきたいとおっしゃっていた。
まぁ、そんなやつもいる。

そういえば、ビジネスの話。それが僕の当面最大のジレンマ。未来の姿を思い浮かべられるものの、途中経過に現実的な予測を立てるのが難しい。あるときぱっと霞が晴れるのを楽しみに。

沖縄の日光。昔、メガネがあおむけに甲板で爆睡して顔をヤケドした写真を貼り付けたいが自粛します。

匿名 さんのコメント...

理想の思考と現実の心情に差があるというジレンマ。これって自分だけ?

みんなそうだと思うよ。
なぜなら俺らは頭がいいから。

そんで、俺は君にそのジレンマが
色濃いことも仲良くなってから知ってた。

その頭の良さは全方位に発揮され、
時には自制だったり躊躇だったりにも
発揮される。
もはや、それは行動を制限する
ための頭のよさでもなく、
思考すら制限されるくらいに、「頭がいい」。

『「理屈じゃないことが好き」だと思う』
って時点で、もう俺らは頭がよすぎ。
俺と君はそれを知ってるから、
行動でしか「理屈じゃないことが好き」である自分を証明できないと「考える」。

もうさ、無限ループなんだ。
高野秀行の本のラストが素晴らしいのは
そこなんだ。
あの四畳半の部屋を出るってのは、
「行動」を起こす素敵さじゃないんだ。

最近俺はみんなの結婚ラッシュで、
その「ナチュラルに構築されていく
人生設計具合」に若干ひきぎみなんだけど、
では。と考えてみる、今後の理想。

藪の中。

胡座人 さんのコメント...

まず、5474は俺のスイス銀行の暗証番号なのでこんなところに書き込まないように。

大変お二人さんらしいコメントで「霧が晴れ」たり「藪の中」から出られる日を切に願うばかり。我が事のように。
己のアイデンティティーを極限まで削ぎ落とせば、他者の想いをも自己の同一性として取り込めたり?ネクストステージ?
でもそういう感じ方って多少なりあると思う。

品川の氏が言う事を補足させて頂くならば、そのジレンマが本当にあの別れ際、俺に芽生えたのかどうかが分からなくなってしまう感じが怖いんだ。
もっと言えば、[お前本当は淋しいなんて悲しいなんて思ってやしねぇんじゃねーのか?だって皆を捨てて沖縄くんだりまで行って平気な顔して暮らしてるじゃねえか。今だってそうだ。結局人は孤独だろ?分かってるくせに善人面すんな]と笑う悪魔の存在を否定できない瞬間もある、と。
ただの「潜在的人間関係の防衛」とやらであればいいな、心から。
嗚呼オレのクソッタレ!

無限ループ・・。そうなんだよな。いつもそう。今を生きる、て感覚、実はよく分からない。
どうやれば「今」という最短の瞬間を「生き」続けられるのか。
意味分からんよ。矛盾してるよ。そんな奴いるのかよ。
頭の出来に自信はない、むしろお二人さんの賢さにちょいちょい感心してしまうが、もう少し馬鹿になれたなら、と思う事も確かにあるな。だから飲むんだろし。
俺がよく思うのは(「思う」じゃなく「考えてしまう」かな・・・)、知り過ぎてしまってる、要するに情報過多が問題なんじゃないかと。
なるべくシンプルに物事を捉える、本質を見据える、そうしようとした時に不要な価値観が滑り込んでくる。知ったかぶりのヒューマニズムだったり、中途半端な博愛主義であったり、かっこつけのナショナリズムだったり、見当違いの自由主義であったり。
どこまでが己の中から生まれ出たものなのか、どこからが受け売りなのか。

もう一度手の届くところから始めたい。やり直してもいんじゃないか。でないと理解できない。森羅万象。有象無象。
けもの道だぜ、ベイベー!!