ブログとは毎日、ないしそれに準じたペースでもって更新すべきでありますな。
毎度毎度、久々の更新が続くと、書かなきゃなって思っていた事がつもりすぎて書くのがおっくうになる。
いざ書こうと思う。
挙げ句、箇条書きのような文面の大半を推敲させられるという無駄な作業を強いられる。
その頃にはもう感動はだいぶ薄れてしまっているの。
艶つやだったドラ焼きが湿気で重くなってしまっていて、旨いのか不味いのか気付くと惰性でむさぼっているような。
前略
下っ端暮らしも丸二年を超え小生の請け負う仕事も若干ながらその範疇を広げておる所です。
マカイ(ウチナー口で飯茶碗の事)や汲出(くみだし・湯呑み茶碗の小さいのと思って頂ければ)なぞの雑器類としては主力商品を請け負っております。
汲出に関しては首里城の鎖之間(さすのま)にて供される呈茶のセットに使われておるのが自分の仕事だったりする。
まあ世界遺産の土産物になってると思えば少しは感慨深げではある。
そんな仕事場を後一年ほどで出ようと思う。
辞めた後の事は思案中であるが、しばらくはもう少し見聞を広める時間にしたいと考える。
缶詰というか軟禁状態というか、修行とはそういうものであろう事は重々承知なのだが、内なる好奇心や、たぎる血潮を出すべきときに出さねば後々膿となり己を苦しめ得る事は必定。
それがベストタイミング。
あと一年、ガムシャラ人生宜しく、力の限り生きて、ネクストステージを見据える高揚感、まさに人生の醍醐味。
モラトリアムぢゃあないよ。
前述の見聞というのは恐らくフィールドワークに近い気がする。
民俗的世間に揉まれ、民芸的美意識を肉体になじませる。
ルーツが体育会系だからね。
たまに誘われてサッカーとかするとまだまだ、尋常ならざるアドレナリンの分泌を制御できない自分を思い出す。
なんかグッとくるぐらい。
二十歳前後の目標が簡単にいうと多分、若隠居だったんだけど、それで何となく進んでみた現在進行形なんだけど、その為にはいろいろ大変で。
修行とかしなくちゃなんなくて。
ノホホンと生きるのは大変で。
『るきさん』になるのは大変で。
最終的には、邸宅だか東屋だかの、庭園だか荒野だかよく分からない所で、懐石だか炊き出しだかをあてに、ドンペリだか大五郎だかで喉を湿らし、楽器は一個でいいんじゃないかな、三線でも手拍子でも、みんなで歌う。
そんな夜がいいかな。
生きてて良かった、と思えるかも。
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