2011年4月27日水曜日

復権タンメン


<代表的な野菜そば。どんぶりから溢れんばかりに野菜が乗っているのが当たり前。
早く野菜を処理しないと麺はのび放題だ。>

写真を撮り忘れてしまい、上のは例だが、沖縄そばを自作してみた。
鰹や豚骨からダシをとって。
四食分くらいのダシがとれたので、初日は三枚肉でラフテーを一緒に煮タマゴも別途作り、通常版沖縄そば。
今日は野菜炒めを作り野菜そばを作った。
そば屋に行くとそれなりに野菜そばを注文する事が多い。
野菜炒めから出た旨味がドッキングして最後に残ったスープがとても美味いのだ。

昔家族でよく越谷西友隣りの『珍来』に行ったものだが、母ちゃんはよく『タンメン』を注文していた。
その頃はタンメンの何が美味いのか分からずチャーハンばかり食べていた。
「少し食べてみる?」と勧められてもタンメンなぞ食べる気がしなかった。

今日まで続くラーメンブーム、あらかた出尽くして今でもまあ好きですが、麺にこだわり、スープにこだわり、チャーシューにこだわり、まあ美味しいですわ。
ラーメン屋としてはそれでいいと思う。
ほぼ唯一のメニューであるラーメン作りをこだわるのが仕事だから。
こだわってもあまり意味が無いナルトが姿を消しつつあるのがいい証拠。
しかし食べる客もこだわらなくてはという感を最近感じる。
こだわって食べなくてはいけない感じ。
黙々と「フムフム」と食べなくてはならない感じ。
家族で行きづらい感じ。
ビールと餃子を頼んではみたが、急いで流し込んで早くラーメンに取りかからなくてはすまされない感じ。

だから今、タンメンを押したい。
てらいのない中華屋にて、気の置けない会話の中、パリッとしてないビジュアルである、タンメン。
しかしながらその中華屋の総合芸術としての使命を帯びるタンメン。
田舎に帰ったら胸を張って、珍来のタンメンを食べに行こうと思う。



2011年4月23日土曜日

大東キャンプ記 その八 さらば残され島編

今日で最期。
午前中は東さんに車を貸して頂き、まだ行っていなかった「バリバリ岩」という所へ。
最後の最後で、見所としては一番の圧巻ポイント。
危うく行かないで帰っちまう所だった。
こんなとこ。




島全体が「生きてる」ことを物語る。
沖縄各地に存在するパワースポットの中でも、恐るべきエネルギーに満ちている。
天まで延びる固有亜種「ダイトウビロウ」にガジュマルの根が絡み付く。
畑を挟んで存在する地底湖でも、(ナウシカの)腐海みたいだなぁ、と思ったのだが、ここでも近い事を思った。
宮崎駿ワールドは決して別世界じゃないパラレルワールドなんだと、設定の妙と自然の凄さを感じた。


帰り道、気になっていた土を採取した。
畑の土は農家の人も扱い難いそうで、妙に艶がある。
粘土では?と睨んだのだ。
畑の土と池端の土を採る。
「島まるごと館」へと戻り早速水を混ぜ、捏ねてみると案の定粘土!









しかも本島の赤土なんかよりよほど粘りが強い。
焼いてみない事には分からないが、これはもしかするともしかするぞ、という事になり、再訪して焼いてみましょう、という事になった。
ついては東さんのご協力で教育委員会にある電気窯を貸してもらえないかと掛け合って頂く事に。
で、それなりに好感触だというお話を先日メールで頂いた。
というわけで来月の半ばに再び南大東へ試験をしに行ってくることに。
これでばっちり焼けた所で、じゃあ南大東で開窯しましょう!って話ではないにしても新たな文化、産業の可能性は広がる。

焼物の話だけではないのだが、入植してからまだたったの百余年。
確固とした文化も社会も存在しない。
産業も何となく皆でサトウキビを作っている感じだ。
土質や気候が本島にサトウキビが向いているのかという精査もされていないはず。
なんせ沖縄でも雨が極端に少ないのだから。
雨が少ないのなら地中海性の農作物や、牧畜も面白そうだ。
牧畜に関しては早急に必要が迫られている。
というのも化学肥料に頼った自然と無循環なサトウキビの単作をし続けてきたせいで土がかなり痩せてきている。
島外から農家の方が訪れて驚くのは、その堆肥として不可欠になる牛を飼っている家がない事だという。
太陽エネルギ—海水を淡水化—塩・にがり、のような自然エネルギーによる循環モデルを見習って欲しいものだ。
まあなんと言っても一番の問題は、島民の島に対する愛が薄く、その自然を大切に扱っていないこと。
その啓蒙活動として「島まるごと館(ビジターセンター)」を整備し、子供達に学校教育では出来ない体感型の自然教育をさせる東さんの視点はさすがであったと思う。
そこから始めなくてはならないもどかしさと、まだそこから始められるやりがいに僕個人としては大きな魅力を感じる。
そして故郷、越谷を思った。
やれる事があるとしたら、と考えた。
大東の島国根性=フロンティアスピリッツで10年後の南北大東島が活気溢れる愛されてやまない島になるよう、心より願っている。

<大東犬。島の面積が小さくあまり歩かないため島の犬はみな足が短くなったという。ペットとしての固有亜種という珍奇な例。ここでダックスフントを飼ったらどんだけ短くなるだろか・・・。とにかくみんな短足でプリチー!!>




最期に。
旅の日記ではあるけれども多分に日本全体の現状に置き換えられる話があるはずです。
ヒントがたくさんあるはずです。
みなさん、一生懸命生きていると思うんです。
なんせ生きるだけで大変な時代です。
とか言ってる間に天災があれば万余の人命が一瞬で消し去られます。
そして利害でしか動けない無能な組織のせいで、さらに多くの人が幾世代に渡ってこれからも苦しむ事になってしまいました。
でも、だから、ちょっと時間を持って欲しい。
考える時間を作って欲しい。
その「一生懸命」、正しい方向に向かってますか?
信じてた方向に向かってますか?
胸を張ってその方向で死ねると言えますか?
旅に出ろなんて言いません。
自問自答を止めないで欲しい。
十代の頃、嫌というほど悩んで決めた道です。
誇りを持って生きている事でしょう。
でも盲目にならないで欲しい。
常に世界は変わり続けている。
知らない世界は山とある。
世界の広さはその人が「規定した世界」に他ならない。
これを読んでくれている皆様、どうか結論を焦らないで下さい。
そしてどうにか暇ができたならめくるめく旅の感動を味わって欲しいと願っています。
僕は僕に出来る事を、僕の幸せを、求める旅を続けます。


Special Thanks to
北大東島/キャンプの心配をしてくれた役場のナカヨシさん/魚市場で肝の刺身をくれた海人のおじさん/スナック「みなと」で奢って頂いた宮城ヨシタカさん/居酒屋「村おこし」、スナック「ブリーズ」で奢って頂いた金城さん兄弟/「ブリーズ」のママとハナちゃん/港湾の仲宗根さん
南大東島/居酒屋「ちょうちん」でピザをおごってくれた兄々/南大東Dongosabowsの三人衆(東和明さん、奥山さん、小浜さん)/東静香さん


来週は八重山と宮古に二週間出かけてきます!!!
出来れば旅先でブログ更新したいけど、無理かなぁ・・・。

大東キャンプ記 その七 南大東再び編

今日は再び南大東へ戻ります。

ご存じない方のために一応今更ながらざっと説明しておくと、この大東島という所、111年という最近まで無人島。
ちょうど1900年、東京の八丈島出身の玉置半右衛門という人とその会社が開拓を始める。
1946年琉球列島米国民政府の統治下に置かれるまでは日本領でありながら特定の自治体に属さず、玉置による入植以降、玉置商会〜東洋製糖〜大日本製糖が島を「所有」し、現在に至るまで島の中核産業である製糖工場に付属する私設の学校病院郵便局まで設置される(!)極めて特殊な自治体制が敷かれていた(資料館に行くと「私立玉置小学校」の写真)。
ここはかつて玉置の理想郷、理想の国家であり、彼は王であったのだ!
そして製糖会社(玉置家)ー八丈島出身者ー沖縄出身者という確固としたヒエラルキーが40年前の農地解放まで続いたのである。

文化的にも、内地と沖縄がチャンプルー(ごちゃまぜに)されており、「石敢當」と「お地蔵さん」、「神輿」と「エイサー」が共存する。
さらっと前述したが、名物「沖縄そば」と「寿司」のセットの珍妙さ。
「神社」があって「御嶽」はないが、沖縄本島の人からは「ウフアガリ(大東)の島」として信仰の対象。
東京ローカルのテレビにラジオ電波は沖縄から(地デジ化に伴い沖縄キーになる模様)。
子供は基本的に方言を話さないが、島には中学校までしかないため、高校は沖縄本島へ行く事になり、うちなーぐち(沖縄弁)をそこで覚える。
などなど。
とにかくここは東京であり沖縄である。

最初の一泊二日でぐるっと回ってしまったので何をしようか思案したが、鍾乳洞探険を案内してくれた東さんのお話をもっと聞きたいと思ったので、仕事を何か手伝わせてくれないかとお願いしてみる。
快く了承して頂き、一緒に長靴をたくさん洗った。
もちろんいっぱいユンタクしながら。
普通の旅行では知れない事を聞けたはず。
八丈島出身者と沖縄出身者の軋轢が今でもあること。
南大東島の北大東島は仲が悪く、「だいとう」の所有権等でもめていること。
東さんの母様からは、疎開時にされたという「対馬丸撃沈事件」とほとんど同じような体験談。
島民の地元愛の低さ、島への誇りの無さ(沖縄県内では異常!)。
島内の派閥の話。
癒着の話。
島への提言。
芸術の話(東さんは東京で舞台芸術、母様は華道の師をしていた)。





夕方ご好意でカヤックで池の散策に連れて行って頂いた。
ちょうど夕暮れ時で最高でありました。
お二人ほど息のあったカヤック初めてですよ、とお褒めの言葉。テヘッ。

再び余談だが、大東島自然解説。
この島も、小笠原諸島のように大陸と陸続きになった事がなく、ガラパゴス化が著しい島の一つだ。
そのため、もとより固有亜種の数が多いが、その特異な地形も手伝ってその数はさらに増える。
島全体でカルデラ状となっているその中央部に雨水が溜まり、多くの湖沼を作っている。
沖縄県内の湖沼の90%以上が南北大東島に存在する。
分かり易く特異な例としてはマングローブだろう。
マングローブは通常、淡水と海水の境目(汽水域)に繁殖するため、川と海の境目に多く見られる。
ところが大東ではその湖沼の底が石灰岩の隙間を縫って海と繋がっている。
池の底が海水、水面近くが淡水、という極めて珍しい環境となっているため、池の周りの陸地にマングローブ(オヒルギ・国指定天然記念物)が生い茂っているのだ。
そしてその林に住む「ダイトウオオコウモリ(こちらも国の天然記念物)」がギザカワユス!
その他枚挙に暇が無いほどの不思議世界が広がっている。

ダイトウオオコウモリ



夜は島の飲み屋に行って東さんのお友達も交え、大東寿司や内地式の天ぷらを頂きながら、尽きる事の無い未来を語り合うのであった。

2011年4月22日金曜日

大東キャンプ記 その六 スナック編




















昨日買ったマグロを刺身にする。
一切れずつがステーキのような刺身達。
お昼はこれだけでお腹いっぱいになった。
夕方まで読書し、近くの民宿で300円で風呂に入れる事を知ったのでさっぱりし、夜は島で唯一の居酒屋『村おこし』へ。
その後帰り道にあるスナック『みなと』へ寄る。
常連のおじちゃんと仲良くなりおごってもらい、翌日一緒に『村おこし』に行く約束をする。
ここでインガンダルマの薫製を頂く。
さすがに薫製になると元の味はあまり分からなかった。
久しぶりに午前様で帰宅。
宅っていうかテント。


















翌日は朝から自転車で島の外周を回る。

<おもちゃみたいな建物だったので合成っぽい写真を撮ってみた。ゴミ処理場。>




<上陸港。その昔(1903年)島に上陸した時に初めて作った港。上陸してみた。>













<道端に鍾乳洞入り口。崩落の危険があるため立ち入り禁止、とあるが本当は島にガイドがいないために入れない。>



<例によって畑の中に林らしきものがある。ドリーネだ。島の人々にとってドリーネや鍾乳洞は特に貴重な存在ではなく、当たり前の存在である。従ってちょうどいい感じに窪んでいるドリーネは風よけに最適で、この家屋も平屋ではあるが低くなっているのが分かる。更に驚くべきは、ドリーネは下水の捨て場にちょうどいいから説・・・>

















<小学生が、作った野菜を被災地に送っていた。なんか無力感というか敗北感さえ感じました。日本一早取りの北大東のジャガイモ、本当に美味しかったです。>


昨日のおじさんとの約束通り夜、『村おこし』へ行く。
約束の7時を回っても来ない。
隣の席に座った別のおじさんは知り合いらしく(まあ島の人全員知り合いなんですが)電話してくれた。
眠いから行けない、とのこと。
なんじゃそらー!
でもお詫びにその別のおじさん二名と飲む事になり、お腹いっぱいお酒一杯頂いた。
またおごって頂いてしまった。
謝謝!
さらにそのうちの一人のおじさんとまた昨日と別のスナックへ。
居酒屋は一軒しか無いのにスナックは五件ぐらいある、この島。
ママの歌がハチャメチャに上手くて泣く。
あえなく酩酊となりまして、かえりますた。
またおごってもらっちった。
ごっつぁんです!!

2011年4月21日木曜日

大東キャンプ記 その五 魚市場編


今朝も街へ出る。

民俗資料館へ。

<昔の製糖工場で使われていたバーナー。現代の陶芸用の灯油のバーナーとほとんど構造が変わっていない事に驚く。>


海が荒れていなければ昼頃から毎日開かれる魚市場へ。










<「大きいですね!」「いやまだまだ小さいよー」>





一冊のマグロを買い、サワラのアラも頂く。
アラで魚汁を作り昼食。



<左の赤いのがマグロの心臓。右がタマゴ(炙り)。も頂いてしまった。このタマゴあっさりした白子のようでむきだしに美味い!でもタマゴって一体なんだろう・・・。>

食後は日が暮れるまでずーっと酒飲みながら読書してました。
また明日!

大東キャンプ記 その四 北大東散策編

朝市で自転車を借りて島を回る。
写真を中心に島を紹介。

<沖縄ではあまり見ることが無い。地図には「観音さん」とある。足をがっちりセメントで固めてある辺り、台風使用。>

<道に日陰をつくる飛び出した松の枝>







<リンの採掘で使用したトロッコ線路跡>




<あとはサトウキビ畑ばーかっり!>









<北大東空港。南大東、那覇と三角形で結ぶ。南大東との航路は定期便の中では世界最短航路、距離換算世界最高額。村は国からの補助金を得るため、わざと高額にして赤字計上してるという黒い噂も・・・>










<南大東と同じく、くりぬき型海水浴場、その名も「沖縄海」。このときは波が荒過ぎてとても泳げそうにない。これぞ海水浴。>



<長幕(ながはぐ)という島の周囲を取り囲む長い丘陵。日本昔話に出てくるマンガみたいな山々。沖縄なのに里山感がとてもある。>

2011年4月20日水曜日

大東キャンプ記 その三 南から北へ編



<キャンプ場のトイレ入り口にあるダイトウオオコオモリ(国指定天然記念物)のオブジェ。でかいし怖すぎる。>






























朝起きて塩屋プールという海水浴場へ。
前述のように島は全面断崖で囲まれているため、海で泳ぐ術がない。
そこで海岸の一部をくりぬき人口の潮溜まり(プール)を作った。
まあこういうことです。



星野洞という鍾乳洞に行く。
こちらは内部に階段や手すりがしっかり整備されていて、探険ではない。
しかしながらこの星野洞、東洋一と謳うだけあって広いし鍾乳石がでかい。
東洋一、という範囲不確定な感じがミステリー感を助長している。
白眉なのはまさにその白さ。
鍾乳石は空気に触れると酸化して変色してしまう。
また湿度も100%でないと鍾乳石が成長する事が出来ない。
従って密封状態でないと白が濁ってきてしまう。
整備された時しっかりとした二重の扉を設置したおかげで、今でも成長を続けている鍾乳洞なのだ。
成長と言っても100年で1cmほどだが。

腹が減ったので大東そばを食べに街へ。
こちらは伊佐商店。


大東寿司とそばがセットになったものを頂く。
大東寿司というのはマグロやサワラをヅケにして握った寿司。
もともと大東のマグロ、サワラは美味いが、さらに甘みが増していて美味しい。
そばは基本的には魚のダシの沖縄そば。
違いは麺で、かなりの太さ(うどんくらい)ある縮れ麺。
海水から抽出した天然のにがりをつなぎにしていて、モッチリというよりはしっかりした歯ごたえ。
余談だが大東は沖縄の中では一番降水量が少ない。
この島だけはいわゆる亜熱帯の亜雨林ではなく、頻繁に干ばつに悩まされる。
飲料水は海水を淡水にしたものを使っている。
その動力は太陽熱を電気化したもの。
なんせもっぱら快晴ですから。
淡水化して残ったものはおおざっぱに言うと塩とにがり。
そのにがりを使っているあたりの循環にグッときます。
あとは塩を商品化すればおよそこのサイクルは完成する。


食堂にはそれ以外にも200円追加で食べ放題のおかずとご飯があり、労働者の方々のソウルフードとなっている。


















食事も済ませ一路港へ。

<ゴンドラに入った山のようなかぼちゃ>







今日は南から北大東島へ渡る。
例によってゴンドラ式で乗船する。
一時間程並に揺られ北大東島が近づいてきた。
すると港の方から一艘の小型船が。
眺めていると船員から「じゃ、降りましょうか」
南から乗船したのは十数名いたのだが、北大東島で下船するのは我々二名のみ。他の乗客はそのまま那覇まで行く。
甲板まで連れて行かれるとおもむろに取り出されたライフジャケット。袖を通す。
横を見ると甲板の扉が開け放たれており、扉の外に横付けにされ海上に頼りなげに揺れる先ほどの小型船。

まさか・・・ (直接動画をアップすると酷いのでyou tubeにて)


そして港に着くと小型船(艀(はしけ))ごとクレーンで。


素人撮影で申し訳ないが、多少の臨場感が味わえたのではないでしょうか。
2、3編集しただけでも酔ったもん。。

上陸してキャンプ地である港のそばの公園へと向かう。
北大東島はその昔、リンが採れる事で栄えた。
採掘現場の廃墟が残っていた。


















しかし島の入り口、港のこんなすぐそばにあっていいものなのだろうか。



























































































































夕飯のカレーの食材を求めに近くの商店へ行き、テントを張り今日は就寝。
明日は自転車を借りて島を巡る。

<テントを張った公園からの日没>