2011年5月20日金曜日

巨大シーサー制作風景

那覇市から壺屋焼協同組合が受けた仕事なのですが、いま、私の出身の窯である陶眞窯にて3m以上ある特大シーサー製作が行われています。
数ヶ月のプロジェクトなのですが、組合等から腕利きのシーサー職人が集まって共同作業しています。
那覇市の国際通りの終点に蔡温橋とい交差点があり、そのそばの公園に設置される噴水兼シーサーです。
7月8日(那覇の日)に間に合わせるべく急ピッチで進められているのですが、どうも間に合わない様子。
なんせ乾燥だけで2ヶ月ほどを要すのです。

<完成見本(縮小版)>


<胴と頭を分けて作り焼き上げる。
右下の扇風機で大きさが分かるというもの>

<頭部>

<胴体及び玉。玉から噴水が出るらしい。>

<シッポもこれだけで焼く>

<製作風景。建設現場さながらの足場を組んでの作業>

<右が小生の師匠>

<一流の職人が喧々諤々しながら>

<遠目でパーツ位置を指示する>

<10立米の窯。灯油バーナーが両サイド七機づつ。
1000万円以上します・・・>


二体作って上等な方を設置する模様。
沖縄へお越しになられる際は是非見に行ってみて下さいね。



2011年5月15日日曜日

八重山・宮古 海じゅねー 〜大神島の巻〜

石垣島より飛行機で宮古島へと向かいます。
台風も近づきつつあり空港を出るとあいにくの雨。
校長先生をこの春退職されたコウエイおじさんのお家にお邪魔する。

翌日も天気は思わしくなく、晴れたり曇ったり。
これ以上台風が近づくと欠航もあり得る、と思い朝一で大神島へ向かう。

大神島の祭は島民以外見る事は許されない。
その祭を取り仕切るノロは長女が受け継ぐ。
島民以外が盗み見ているのが見つかった場合、その口封じに手段を選ばない、という噂がある。
また、海賊の財宝が眠るという伝説まである。
島全体が非常に妙な緊張感に満ちている。

<さすがに神の島のヤドカリは紫色>


<蛇口だって上向いちゃう。ありがたや。>


<空き缶は大地に飲み込まれる。>


<弧を描くように沈む岩石。不思議な場所。>



帰る直前、港にいた島のおじさんに話を聞いた。

この島の小学校は四年前、廃校になった。
学校がなければ育てられないので島に子供はいなく、最年少者が40代。
空っぽの校舎はまだ集落の入り口にあったが、それも近々取り壊されるという。
そうしたら全部終わりだね、愛想良く話してくれていたが、その表情にはやりきれない悲しさが滲んでいた。
神を作るのも伝統を生み出すのもそれらを打ち壊すのも人間の仕業だ。
だから仕方がない。
でももう少しゆっくりでもいいのではないか。
数百年、数千年かけて少しずつ積み重ねられてきたものがあっという間に崩れ去る。
ビーチに作られた砂の山が波に洗われるように。
それはほんの一瞬です。
今、ちょうど、その刹那がこの島に存在しています。


八重山・宮古 海じゅねー 〜宮古島の巻〜

夜は、学生時代からの友人で校長仲間でもあったギボ先生も交え楽しい話をたくさん聞いた。
宮古島には「オトーリ」という回し飲みの文化があります。
今では皆で楽しく酔う為、という趣がありますが、元々はお酒が貴重だった頃、皆で平等にお酒を分け合い、心が「通る」ように、という意味合いだったそうな。
今度からはもっとありがたくオトーリが出来そうです。
また、伊良部島に佐良浜という部落がありそこでは鰹のオトーリがあります。
口いっぱいに鰹を突っ込まれ食べ合うのだそうです。
酔ってそんな事したら死んじゃうよまじで・・・。
ちなみに仲間由紀恵は佐良浜の出身なのでかつて鰹をほお張った過去があるはずです。
ちなみにコウエイおじさんの奥さんは伊良部島出身で、いとこの娘が国仲涼子。
伊良部島は美人の島と有名だそうです。
確かに他の親族の伊良部島出身者はみんなきれいだし、その子達もみんな可愛い。
女性にとって何にも勝る遺伝子かもしれない。

また多良間島の主役は逆に男だ。
琉球王朝時代の島流しの地であった多良間島では男性が強く、祭司を務めるのも男性である。
これは女性優位の沖縄県では異色。
非常に興味深い。
いつか祭の時期に訪問したい。

翌日は宮古島内を回る。
海宝館という世界中の貝を収集、展示した所を訪れる。
収蔵品目が半端じゃないので、宮古島に行く事があったらお勧めです。

<昔の潜水服>


<深海生物さながら、貝って不思議!>


<まるでオリエンタルな風景。>


<でかさ自慢はシャコガイ>


<頭蓋骨を洗い、化粧を施し、貝などの装飾を埋め込む。
遠い国の話のようだが、そうではない。>


<東平安名崎。台風で大荒れ。潮の道がはっきりと見える。>



<上野ドイツ村に収蔵されているベルリンの壁。
西側のカラフルな落書きに対し、東側はナンバーのみなのが印象的。>



ギボ先生は校長になる前は美術の教師で、元々は九州の美大でクラフト(陶芸)科を出たらしく、退職された今は専ら、家の倉庫に作った工房にて作陶に明け暮れているそう。
最期にそちらにお邪魔して物凄く久しぶりにロクロを触らせて頂いた。
実は昨晩、遊びにおいで、と言われた時から居ても立ってもいられなかった。
これから嫌というほどロクロは回さなきゃいかんのは分かっているが、しばらく触らないと不安でいっぱいになる。
だから土を触れてとても安心した。
先生、ありがとうございました。
(しかし上手くひけない・・・)

いつの間にか台風は宮古島を離れ、初めて晴れ間がのぞいてきた。
久しぶりの青空に喜んでいてハッとした。
今頃台風は那覇上空・・・。
飛行機は結構揺れたが無事到着。
家に帰ると友人に頂いたお守りがちぎれて無くなっていた。
カミサマ・・・タンディーガータンディー・・・



2011年5月14日土曜日

八重山・宮古 海じゅねー 〜竹富島の巻〜

竹富島にて。






やっぱり波照間で見たシーサーと同じ作家さんだ!
と思って民芸館で話を聞くと、その昔、赤瓦の職人さんが余った瓦を漆喰で固めて作ったシーサーらしい。
よく見ると胴体や顔が瓦で出来ています。
その辺の土産物屋で売ってるシーサーよりよほど生命力に満ちている。



「あれ、ひょっとしてイルカが死んでんじゃないかなあと思ったんですよ。」


「で近づいて脇まで来てみたら、オバサンみたいな外人でした。」

(電気グルーヴとかスチャダラパー ミッドナイトコネクションより)





石垣島でよくみた花織風のベランダ。風通しもいいと思います。



八重山・宮古 海じゅねー 〜石垣牛の巻〜



石垣に帰ってきた。
暑かったので友達のケイちゃんと漁港で飛び込んで遊ぶ。



<夕飯は病院の院長先生である親戚のおじさんに連れられ石垣牛を頂きました。
東京で食べたら最低二万で、もっと不味いのが出てくるよ、って言ってた。
呪文でも唱えてるのかとおもた。>


夜はそのおじさんの別荘に泊まらせて頂く事に。
すごいぞ。

<螺旋階段!>


<地デジって何?>


<でも体が資本。>


<鹿は基本でしょ>


<高そうな不思議な瓶のお酒イーパイね>

<カミュはゴッホの絵の中>


<大砲にも乗っちゃうよ。どーん!>



<ナポレオンは?ナポレオンの中!>


<ブランデー類はとにかく凄いのに入れとけ>


<記念ボトルも作るさ、そりゃ>


<アイランドキッチン。普通にうらやましい。>

<ついでにピアノも置いとくべ>


<二階サブトイレにネオレスト。出したいときに出せるね!>


<勉強だってし放題!>


<お手紙だって出し放題!>


<ベッドもどーんと>

<和風洋風ございます。>



<二人乗りブランコ>

<マンゴー、ハウス栽培。海の向こうに竹富島、小浜島、西表島。黒島。>


翌日は逃げるように竹富島へ向かうのであった。