2011年4月23日土曜日

大東キャンプ記 その七 南大東再び編

今日は再び南大東へ戻ります。

ご存じない方のために一応今更ながらざっと説明しておくと、この大東島という所、111年という最近まで無人島。
ちょうど1900年、東京の八丈島出身の玉置半右衛門という人とその会社が開拓を始める。
1946年琉球列島米国民政府の統治下に置かれるまでは日本領でありながら特定の自治体に属さず、玉置による入植以降、玉置商会〜東洋製糖〜大日本製糖が島を「所有」し、現在に至るまで島の中核産業である製糖工場に付属する私設の学校病院郵便局まで設置される(!)極めて特殊な自治体制が敷かれていた(資料館に行くと「私立玉置小学校」の写真)。
ここはかつて玉置の理想郷、理想の国家であり、彼は王であったのだ!
そして製糖会社(玉置家)ー八丈島出身者ー沖縄出身者という確固としたヒエラルキーが40年前の農地解放まで続いたのである。

文化的にも、内地と沖縄がチャンプルー(ごちゃまぜに)されており、「石敢當」と「お地蔵さん」、「神輿」と「エイサー」が共存する。
さらっと前述したが、名物「沖縄そば」と「寿司」のセットの珍妙さ。
「神社」があって「御嶽」はないが、沖縄本島の人からは「ウフアガリ(大東)の島」として信仰の対象。
東京ローカルのテレビにラジオ電波は沖縄から(地デジ化に伴い沖縄キーになる模様)。
子供は基本的に方言を話さないが、島には中学校までしかないため、高校は沖縄本島へ行く事になり、うちなーぐち(沖縄弁)をそこで覚える。
などなど。
とにかくここは東京であり沖縄である。

最初の一泊二日でぐるっと回ってしまったので何をしようか思案したが、鍾乳洞探険を案内してくれた東さんのお話をもっと聞きたいと思ったので、仕事を何か手伝わせてくれないかとお願いしてみる。
快く了承して頂き、一緒に長靴をたくさん洗った。
もちろんいっぱいユンタクしながら。
普通の旅行では知れない事を聞けたはず。
八丈島出身者と沖縄出身者の軋轢が今でもあること。
南大東島の北大東島は仲が悪く、「だいとう」の所有権等でもめていること。
東さんの母様からは、疎開時にされたという「対馬丸撃沈事件」とほとんど同じような体験談。
島民の地元愛の低さ、島への誇りの無さ(沖縄県内では異常!)。
島内の派閥の話。
癒着の話。
島への提言。
芸術の話(東さんは東京で舞台芸術、母様は華道の師をしていた)。





夕方ご好意でカヤックで池の散策に連れて行って頂いた。
ちょうど夕暮れ時で最高でありました。
お二人ほど息のあったカヤック初めてですよ、とお褒めの言葉。テヘッ。

再び余談だが、大東島自然解説。
この島も、小笠原諸島のように大陸と陸続きになった事がなく、ガラパゴス化が著しい島の一つだ。
そのため、もとより固有亜種の数が多いが、その特異な地形も手伝ってその数はさらに増える。
島全体でカルデラ状となっているその中央部に雨水が溜まり、多くの湖沼を作っている。
沖縄県内の湖沼の90%以上が南北大東島に存在する。
分かり易く特異な例としてはマングローブだろう。
マングローブは通常、淡水と海水の境目(汽水域)に繁殖するため、川と海の境目に多く見られる。
ところが大東ではその湖沼の底が石灰岩の隙間を縫って海と繋がっている。
池の底が海水、水面近くが淡水、という極めて珍しい環境となっているため、池の周りの陸地にマングローブ(オヒルギ・国指定天然記念物)が生い茂っているのだ。
そしてその林に住む「ダイトウオオコウモリ(こちらも国の天然記念物)」がギザカワユス!
その他枚挙に暇が無いほどの不思議世界が広がっている。

ダイトウオオコウモリ



夜は島の飲み屋に行って東さんのお友達も交え、大東寿司や内地式の天ぷらを頂きながら、尽きる事の無い未来を語り合うのであった。

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